今日の古典機 2012/02/05 形式5000
1872年(明治5年)、新橋~横浜間の鉄道開業。
明治の文明開化の始まりとなった出来事に多くの人は素晴らしい未来を夢見たことでしょう。
今回は創業時10両の中から「2号機関車」とも呼ばれる個性的な機関車を紹介します。
2号機関車こと形式5000は10両のうちただ一形式、2両のみのテンダー機関車。
一説には京浜間開業日のお召し列車牽引に当てられたと言われていますが、
実際に使用されたのは2年後1874年(明治7年)、阪神間の開業のために使用されたため、
京浜側でなく直接神戸側に陸揚げされたのではないか、と言われています。
※番号の系譜については少々ややこしく、京浜用とは別体系でA, Bと名付けられました。
その後、京浜用と連番となる11, 12と改番されましたが、1876年(明治9年)には、京浜用の機関車を奇数に、西部(阪神間)の機関車を偶数とする改番が実施され、11は4に、12は2に改められました。
1894年(明治27年)にはO形に、1898年(明治31年)の鉄道作業局の形式分類ではD1形に類別されました。
0-4-2、B1の車軸配置は日本鉄道史においてもこの機関車のみとなっており、大変珍しいものですが、
イギリスを始めとする欧州諸国ではごく普通に見られた軸配置だそうです。
(米国ではあまり見られない軸配置のためモーガル・フォーニー等アメリカ式車軸配置の名称はありません)
ただ先輪が無い為動輪タイヤの磨耗が激しく、1878年9月及び1879年6月には早くもタイヤの交換を行っているという記録が残ってます。
原形の貴重な写真。メーカーの竣工写真です。
東海道線の全通までは一貫して京阪神地区で使用され、晩年は、北陸線の今庄 - 富山間や中央線の名古屋 - 多治見間、沼津で入換用などで使用されました。
5000は廃車後、保存のために大井工場(現・東京総合車両センター)で保管してあったものの、保存状態が悪く第2次大戦中に金属供給のため解体されてしまったそうです。
ひとことコメント:「2号機関車」と呼ばれる機関車ですが、保存車が無く知名度が低いのが残念なところ。とっても愛嬌のある可愛らしいデザインが素晴らしいですよね!
2両しかない形式なのに改造で2両ともキャブの形状が違うのが面白いところ。
模型にしたくなるような、いや模型のような小型テンダーロコ。
Nゲージにも16番にもとてもレイアウトに好適だと思うんですが。。
どこか製品化してくれませんかねぇ。。。
※ で毎日古典機を1両ずつ紹介します。
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