2011年4月1日金曜日

2013年 エイプリールフールネタ

今日は何の日?



鉄道作業局時代のドンカスター7090。大きな動輪がかなりの迫力。




今日の古典機 2012/04/01  形式7090 


この機関車は英国ヨークシャーに
あるドンカスター社(Doncaster Works)が1895年に2両が製造した
車軸配置4-2-2(2A1)形の飽和式テンダー機関車です
「シングルドライバー」と呼ばれる1つの動輪を駆動する機関車のスタイルは日本ではとても珍しいものです。


日本鉄道に納入され、同社の形式Dbt4/1番号は50 - 52(私鉄国有化後は7090形 7090 - 7091改番)
長らく日本鉄道最高速度の機関車として活躍し、お召列車の牽引の実績もありました。

この機関車は当ブログでは珍しい日本鉄道の機関車です。
この機関車を知るうえで日本鉄道について詳しく触れなくてはなりませんね。
元来日本は国が主体となって鉄道路線を敷いていました。でも明治政府は西南戦争などで財政が困窮していてとても新路線の敷設を行える状況ではなかったため、
元々国しか認めていなかった鉄道敷設の権利を民間にも認め、民間資本を頼りに鉄道網を発展させる事にしました。
その第一弾が日本鉄道で、岩倉具視をはじめとする華族・政治家などが出資し、現在の東北本線である上野~青森間や今の山手線の前身赤羽線など次々と路線を開業・近隣鉄道を合併&併合し鉄道網を広げました。
とはいえ、形式的には私鉄ではあったものの、路線の建設や運営には政府及び官設鉄道が関わっており、建設路線の決定も国策的要素が優先されたり、国有地無償貸与、建設国営など実質上は「半官半民」の企業であったことは言うまでもありません。
以後、これに触発されるような形で山陽鉄道・九州鉄道・北海道炭礦鉄道などの新たな私鉄会社が続々と日本各地で創設され、日本の鉄道はその多くが私財で建設されることになります。

まぁ簡単に言うと”日本鉄道は日本初の私設鉄道(でも実態はほぼ官営)”と覚えておきましょう!

もうひとつ、こっちはもっとややこしいですが日本鉄道の蒸気機関車の形式の呼称方法を説明しておきます。
メーカーの略称(アルファベットの大文字1字または2字)にテンダー機関車は「t」を付し、数字部分は、動軸数/総軸数で表されています。また、「b」はボギー式の2軸先台車を装備していることを表す。例えば「Dbt2/4」とは、ダブス社 (Dubs) 製のボギー式先台車を装備したテンダー機関車で、総軸数4、動軸数2という意味です。
ただし、この文字列ではメーカーや軸配置、仕様などは判ってもどの形式か判別することは不可能です。
日本鉄道ではこの文字列を形式番号(今のDD51とかE231系とか)みたいに扱い、
その後の番号(通し番号)で区別されていたようです。



さて、外見上の大きな特徴として、この他に類を見ない大きな動輪があります。
直径が8フィート1インチ(2.46メートル)にもなります。
動輪が大きければ大きいほど速度が出ます。最高時速は単機で108キロとも言われ、当時としては国内最速の機関車でした。
動輪の大きさが8フィートほどであることから「エイト・フーター」、大きな動輪がコマが回るようであることから「コマ吉」などと呼ばれ親しまれたと言います。

また、大きな一つの動輪を駆動する「シングルドライバー」と呼ばれるAテンダー機は国内に存在しなかったため、その珍しい形態は大きな注目を浴びました。

しかしながら、当時はまだまだ発展途上の国ニッポン。
このような複雑で高度な機関車は手に負えなかったようで輸入から5年後の1900年(明治33年)には早くも予備車となり、3年後には廃車となりました。保存車はありません。

その後日本ではシングルドライバーの研究も行われていたものの結局実用化はされず、
残念ながら当形式のみとなってしまいました。
もし、この後シングルドライバーの研究が進んでいたらどうなっていたのでしょうかね?
もしかしたら、C62やC57が全く別の形態になっていたかもしれませんね。
横浜駅で発車を待つドンカスター


ひとことコメント:再開後いきなりコレで申し訳ないですw


今日は何の日でしょうか?

初心者には見極められないような事ですね、申し訳ありませんw


※この記事は2013年エイプリールフールのネタ全文です。
この機関車についての解説は


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